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【ガトリング家老】河井継之助の大河なじらね?

1 :蒼龍窟:2008/04/21(月) 21:30:34.07 ID:oO1goDGQ
幕末動乱の時代に越後の小藩、長岡藩で武装中立の理想を掲げ
ガトリング砲を独自ルートで2機購入、世界で12機、日本に3機しかなかったという
戊辰戦争を通じて最も熾烈を極めた北越戦争を指揮する
自ら戦線に立ちガトリング砲を撃ちまくり大被害を与え、新政府軍を大いに動揺させた
河井継之助の大河をつくるべきだと思う、原作は司馬遼太郎「峠」でお願いします

「十七歳の時 国を助けることを天に誓ったのに
 二十九歳の今 その心は倒れようとしている
 千載一遇の機会を生かすことは難しく 世の辛さを知り ため息をつく」

「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」

「天下になくてはならぬ人になるか あってはならぬ人になれ」

NHK「その時歴史が動いた」
「北越の蒼龍 “明治”に屈せず 〜河井継之助 地方自立への闘い〜」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_03.html#01

河井継之助 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9

『峠』司馬遼太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29

2 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 21:35:31.94 ID:MfvZoBTk
1年もたん

3 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 21:54:06.61 ID:aV6NV6W0
花神の時に高橋英樹が熱演していたぞ。

4 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 22:05:06.24 ID:xsWedp2A
「花神」で高橋英樹でやったよ。
大村益次郎が主人公だけど、脇役で長岡藩の河井継之助も出てきた。
若い時の緒方洪庵塾の勉学の様子や、陽明学が好きな事や、家族の描写や、政府軍と壮絶に戦い
倒れる様子など、いまやってる駄作と違ってかなりしっかり描かれていた。
「花神」じたいが司馬の「花神」と「峠」と「世に棲む日日」と「人斬り以蔵」を
ミックスした大河だから。

5 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 22:06:04.52 ID:16EKHYRH
越後の人間しかみないだろw

6 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 22:11:00.80 ID:MICPo/xn
A-10好きだから見るwwww

7 :蒼龍窟:2008/04/21(月) 22:39:32.95 ID:oO1goDGQ
本物のラストサムライともいわれる河井継之助の大河みたいでしょ?

一年もたない?
じゃあ河井の親戚小林虎三郎の米百表物語や戦友三島億二郎のエピソード追加すればいいじゃん!

8 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 22:58:53.45 ID:tZwlnfOh
この人の写真みたが、ガトリング砲が似合ういい顔してるねェwww
マカロニウェスタンに出ても違和感なさそう。


9 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 23:05:56.97 ID:U045ygLf
時勢を全く読めず武装中立などというアホな理想をかかげ祖国を火の海にした張本人短慮浅はかな御仁の大河なぞ

誰が見るか

10 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 23:26:22.61 ID:q6djXJmT
俺は田崎草雲の大河がみたいよ
原作「喧嘩草雲」

11 :日曜8時の名無しさん:2008/04/21(月) 23:27:23.59 ID:PUgaaSK4
>>1
>大河なじらね?

???

12 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 01:05:49.06 ID:9ZwZRCKt
見たい!1年持つよ。江戸でいろんな人に出会えばいいんだよwwwwwwww

13 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 01:08:22.59 ID:Ie+5P+Fd
ぐぐれ

14 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 10:32:02.64 ID:V4fuVISb
松蔵の大河やれよ!!

15 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 10:39:15.62 ID:euAED7vV
松蔵の大河をずっと待つぞうなんちってw

16 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 12:00:13.93 ID:7YhvQDOF
確かに河井継之助というと真っ先に高橋英樹の顔が浮かぶな。
同様に島津久光の方も高橋英樹が真っ先に浮かぶのは困ったものだ。

17 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 12:18:39.04 ID:sU2cuetx
司馬遼太郎「峠」は上中下巻もあり一年持つだろ。山田方谷の所へも
行っただろ。小林虎三郎を準主役にすれば話に厚みもますね。

しかし、長岡メインは直江とかぶるからやらないだろ、それと
変な言葉を使うな
>なじらね?


18 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 12:30:19.49 ID:avZUYDKV
勘三郎主演の失敗作を思い出す。

19 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 14:52:10.92 ID:FwvktI3o
>>17
>なじらね?
「どないでっか?」の長岡弁バージョンだボケェ

20 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 14:54:41.58 ID:aenR9VL7
見たい見たいすごく見たい
「峠」は司馬遼太郎の本の中で一番好き

21 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 15:41:20.06 ID:aTV0ZR6T
>>11,17
なじらね?(長岡弁)→いかがでしょう?(標準語)

そいがー、長岡はマイナーらろっか・・
継サの大河なまらみてえんらども
難しいんらろっか

峠は司馬作品の中でも人気ある方らと思ったんけど・・

22 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 16:42:25.00 ID:mFaMnr3g
『河井継之助の妻「すが」の証言』も加えて

23 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 20:49:27.83 ID:7OKdNnHx
>>21
そんなの、長岡周辺のみで、大多数の人は知らんぞ。
「河井継之助が大河になったらなじらない(詰る=問いつめる)か?」
っていう意味かと思った。それにしても意味不明なんだけどさw

24 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 22:55:56.88 ID:zV67SUpv
水曜なじらね

25 :日曜8時の名無しさん:2008/04/22(火) 23:52:58.08 ID:rgO/HdDs
「河井継之助の大河なんでないの?」
っていう意味のスレだと思ってた

26 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 06:45:06.18 ID:POMyFAry
衆参なじらね現象

27 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 13:40:09.66 ID:vRAUzNF+
今の俳優だと、河井に合いそうな人いないなあ

28 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 21:58:18.09 ID:UNL7vnoN
>>27
斉藤洋介

29 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 22:10:38.54 ID:hjoiK6Fb
>>27
鈴木宗男

30 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 22:46:23.01 ID:Vb5aJGld
>>27
香川

31 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 23:25:28.16 ID:shbPkzNG
やっぱ河井は知名度低いのかな・・
地元で賛否がわかれてる人、っていうか嫌ってる人が多いかも
墓は傷つけられたり倒されたりしてるらしいし

最近まで河井継之助記念館は福島の只見町にしかなかった、冬の間は閉館するような感じらしい
http://www2.ocn.ne.jp/~tadami/kawai.htm
http://www.tadami.gr.jp/kankou/kawaikinenkan-top.htm
http://www.tadami-net.com/kawai/index.html
http://www.ne.jp/asahi/minamiaizu/mori/tadaminomidokoro/kawaituginosuke.htm
---------------
●「河井継之助記念館」がオープン・ガトリング砲など展示
作家の司馬遼太郎氏の小説「峠」の主人公として知られる幕末の長岡藩家老、
河井継之助の記念館が新潟県長岡市に27日オープンした。長岡市が継之助の生家跡の住宅を改装し、
継之助の生涯を通した人間像を紹介している。
近くには継之助の墓や山本五十六記念館、JR長岡駅などがあり、市は一帯が観光周遊ルートになることを期待している。

記念館には継之助が日本で初めて使ったとされる当時の最新兵器「ガトリング砲」(手動の機関銃)の原寸大模型や
司馬氏の「峠」の自筆原稿など32点を展示している。総事業費は2億4000万円。
2階建てで展示スペースは220平方メートル、延べ床面積は440平方メートル。
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20061227c3b2704927.html

河井継之助記念館 新潟県長岡市
http://www.tsuginosuke.net/index.html
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/siryou/tsuginosuke.html

2年前に長岡にも河井の記念館できたけど、長岡では米百表の小林虎三郎プッシュしてるらしいね
すっと河井は無視されてた感じらしい、地元が盛り上がらないと大河は難しいかも

32 :日曜8時の名無しさん:2008/04/23(水) 23:37:17.90 ID:o43F7S3e
鈴木宗男www

33 :日曜8時の名無しさん:2008/04/24(木) 13:17:48.09 ID:z/u97fSA
「峠」を読む限りだと、若い頃の加藤剛を
もうちょっと悪くしたようなイメージなんだよなー

34 :日曜8時の名無しさん:2008/04/24(木) 19:12:49.88 ID:OUEB5W89
そりゃ本土決戦を主張した日本陸軍となんらかわらんもん。

35 :日曜8時の名無しさん:2008/04/24(木) 22:56:42.15 ID:JZYss2Bn
山本五十六とセットなら一年もつ
俳優は一人二役でやってくれ

36 :日曜8時の名無しさん:2008/04/24(木) 22:56:53.68 ID:c4WNo9B1
>>34
たしかに薩長は糞かもしれんが、幕末にも義を問うた侍がいたわけで。
勝てば官軍的な流れで現在まで来てるけど、河井継之助は靖国神社に祀られてもいい人物だと思うよ。

37 :日曜8時の名無しさん:2008/04/24(木) 23:16:35.96 ID:c4WNo9B1
>>35
山本五十六の山本家は中々すごいよねw
武田信玄の軍師だった山本勘助の家系と言われてる。
北越戦争の責任を問われて河井家と山本家が家名断絶になったんだが、
長岡藩主だった牧野家が家名再興に動いて再興されて継いだのが五十六。

継之助と共に責任を問われた山本帯刀もすごい男なんだよな〜。

38 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 01:44:04.28 ID:8Jf/CGgC
ドラマの出だしは真珠湾攻撃に向かう山本五十六でそのまま河井にフィールドバックされて物語は始まる。
最後は河井が戦場で負傷して亡くなるシーンと五十六が乗った戦闘機が撃墜され墜落していくシーンがオーバーラップされて終わるようにする。

39 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 06:59:38.95 ID:NA3O4lYO
つまんね

40 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 07:37:45.21 ID:ADBIpv14
市街戦になって長岡藩では市民が苦しみ、死後墓石をあらしにくるものが絶えなかった
と言ってたが、TVでお坊さんが削られた墓をまえにコメントしてたのみたら
評価が分かれる人物なので、「花神」みたいに脇役の一人ならいいけど主役は難しそう。

41 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 10:09:46.01 ID:gJ/AmIMD
一年間ガトリング砲ぶっ放し続けとか

42 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 11:01:51.89 ID:AYJ7JRoN
でも、ふぐすまでは英雄なんだろ?

43 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 11:23:05.71 ID:hfwUPRwf
>>37

勘助の子孫だなんて、よくまあ吹いたよなw
武者震いがするのぅ…

44 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 12:22:45.75 ID:fkW+YldE
そもそも長岡藩の大勢は恭順だったんだけど、
幕府とか良好な関係だったけど、港を幕府に奪われたりしたしから。
河井がそいつらを弾圧して、強硬派の河井が実権を握り、
戦争を決断した。
中立とか言いながら、会津が長岡領地内で、陣地作ってもスルーしているんだから、
そんな中立とおるわけないのに。

さらに戦争中は長岡から撤退するときに、城下町を焼き払って焦土作戦。
そりゃ長岡の人から怨まれて当然だと思う。

45 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 13:38:45.59 ID:GGO1riRf
つーか、史実がどうであったかよりも「峠」の河井からは人の
生き様を教えてもらった。
交渉の相手が岩村でなく山縣なら河井を拘束して北越戦争は起きなかっただろうが、
「峠」を読めるのは岩村のおかげだ。



46 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 14:15:42.25 ID:z3Br5D3o
>>44
大義のない戦いだからしょうがない
新政府に金をだして、尚且つ会津討伐に参加する理由はない
長岡藩は新政府と会津の板挟みになってしまった
スイス連邦を手本とし武装中立を狙った河井はすごいじゃないか

47 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 17:23:25.89 ID:hfwUPRwf
「峠」はドラマになってないんか…と思って出てきた「花神」
これは未見なんだけど、すげーおもしろそうですね


48 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 20:05:27.32 ID:8Jf/CGgC
>>47
30年も昔のドラマだし長岡藩が出てくるのは最後の方だけだし、
現存してるのは一応総集編だけだから
峠の大河ドラマ化は是非ともやってほしい
前年の平将門みたいに奇跡的に全話発見されればいいのだが


49 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 20:44:06.35 ID:XKe+tE4c
長岡城を奪還するやつやってほしい

50 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 21:14:10.19 ID:fkW+YldE
>>46
あのね武装中立の場合は、あらゆる国に自国を利用されずに、
常に中立でないといけないの。
会津にも一切協力したら駄目。
河井の場合は、武装中立と歌いつつも、奥羽列藩同盟の軍が駐留するのを認めている。
この時点で中立にはなってないの。
スイスなら、即座にこの奥羽列藩同盟に攻撃を仕掛け、領内から追い出し。
新政府軍がきても、一歩でも入ったら敵だ、といって攻撃を仕掛けるよ。


51 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 22:06:33.19 ID:z3Br5D3o
>>50
長岡藩は譜代だから簡単ではないよ
封建制から移り変わる狭間の時代だったことも考慮しないといけない
河井自身が異例の取り立てで家老になった人物だからね

52 :51:2008/04/25(金) 22:11:59.76 ID:z3Br5D3o
もちろん大政奉還後に勝ち馬(新政府)に乗った藩が多数いて
寝返った藩も多かったわけだけど
小さな長岡藩での生き様というか選択が面白いんだと思う

53 :日曜8時の名無しさん:2008/04/25(金) 23:07:15.37 ID:o4advmkk
>>50
302 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:53:47
 「河井継之助伝」にはこんな記述がある。
『山県老公に御逢いした当時は、某重大事件(大正十年の宮中某重大事件)の為、老公は快々として楽しまず、
余程機嫌が悪かったところが、彼。の蒼龍窟の絶筆(梛野嘉兵衛に宛てし書簡)をお見せしたに、非常に喜ばれ、
戊辰戦争当時を追懐して、
「之は実に珍しい、貴重の品を拝見した」
といわれ、
「私は河井という人には小千谷では逢わなかった。今から考えて見れば実に残念なことをしたと思う。
あの当時の状況は、譬えてみれば長岡藩の立場は、丁度今の(欧州大戦争〈第一次世界大戦〉の始まりし当時なり)
ベルギー国のような具合で、中立地帯であるというのを、之を突破して進むというのであった。
我々の意見は、兎に角河井をひっくくってしまえば後は大丈夫だろう、河井をひっくくらうというものであった」・・・・・
そうそう、この手紙にある「分捕り品山の如し・・・・・」とあるが、之に就いて思い出した。おもしろい話がある。
分捕られた品は皆薩摩の方の物で、彼等はすっかり分捕られてしまった、実に閉口して居った。
我々は(長州人)は何遍もからかってやったものだ。どうだ大急ぎで薩摩へ帰って、もう一度用意しなおして出て来るんだね。
−といってやったものだよ」
云々。
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 目黒書店 昭和6年 762ページ


これを読むと山県は河井を留めて置くように指示を出したんじゃない?
岩村に伝わる前に会談は決裂して戦争に突入したわけだが・・・




54 :日曜8時の名無しさん:2008/04/26(土) 06:39:20.73 ID:f78RENdi
武装中立で新政府に刃向かった生き方にはロマンを感じる。
長岡藩の人にしたら市街戦でおらが郷土を灰にした道を誤ったとんでもない
指導者だったろうが。

会津藩を領内に入れたり矛盾していたところがあったり、当時の複雑な情勢や、なまじ最新鋭の武器をもっていたことから
戦争になったりいろいろ事情はあるだろうが、高杉晋作が防長2州に割拠すると言って幕府と一戦を交えた事とか、榎本武揚の蝦夷共和国とか
と同じで弱小勢力が中央政府に反抗する姿勢はかっこいいと思う。

55 :日曜8時の名無しさん:2008/04/26(土) 23:38:33.14 ID:ZT4H6fkQ
山本帯刀って有名か?

56 :日曜8時の名無しさん:2008/04/26(土) 23:47:21.95 ID:X96+IA41
>>55
どこかの帯刀よりは有能だろ

57 :日曜8時の名無しさん:2008/04/27(日) 21:27:23.44 ID:W/u/pSeb
>>1いい目の付け所だと思うけど、この作品が認められると正義のために自衛隊が戦闘行為することが正当化されるからやばいちうか
国家として正しいのは「たとえ正義でも負けるケンカは絶対しちゃ駄目」「友達裏切ってもじぶんちの安全第一」なわけで
河井の生き方がカコイイだけに感化される若い世代の男とかいそうでヤヴァス



あと「いくさはしてはならんでや」という河井のキメ台詞はカコイイが、実際は「いくさはしてはならんれや」といった「ら行方言」が多くて間抜けなので笑い者になる怖れもある鴨

58 :日曜8時の名無しさん:2008/04/27(日) 23:36:28.90 ID:BtOXD/LD
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/451
山本帯刀・・・・1844〜1868

代々家老職を継ぐ門閥であったが、聡明にして果敢という評
価がされている人物で、河井継之助の人物、思想を理解していたとされ
藩政改革での藩士の俸禄改正では三分の一減俸を積極的に受け入れ、
藩士の範を示した。
長岡で戦端が開かれるや若き指揮者として重きをなし、大隊を率いる将として奮戦
長岡陥落により八十里峠附近で残存の長岡兵を指揮し西軍進入を8月末まで阻止。
その後会津若松へ転戦、会津戦争を配下の長岡兵と共に戦うも明治元年9月8日、
会津の飯寺村において集結の西軍攻撃を濃霧の中行うも長岡兵は敵味方を誤認し
配下の43人と共に捕らわれた。
西軍の将はその人物を惜しみ降伏を勧めたが降伏を拒み、
山本含み43名は翌9日斬首された。享年24歳
山本帯刀亡き後の山本家はその後、養子となった山本五十六が継いだ。

59 :日曜8時の名無しさん:2008/04/27(日) 23:39:58.36 ID:BtOXD/LD
466 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/09/23(金) 00:49:45
>>332
山本帯刀は山本五十六のおかげでなかなか有名だろ?

こいつ捕まり方は馬鹿だが、いさぎ良さとか意志の強さは武士らしくて好き。

一緒に捕まった従者の渡辺豹吉の末弟の廉吉は兄の死後、苦学力行し開成学校から文部省にはいり、伊藤博文総理の秘書とし活躍し貴族院に勅選され、従三位法学博士、行政裁判所部長となる。

467 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/09/23(金) 00:58:47
>>466馬鹿な捕まり方とはいかなる事?詳細キボン

468 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/09/23(金) 01:13:53
明治元年、河合継之助が奮闘するも死に、帯刀は雪辱に燃えた。会津入りし水戸藩と協力し日光口の新政府軍をたたき会津鶴が城の兵糧を確保しようとする。

会津藩は鶴が城の籠城戦に入っていた、13日目の九月五日、藩家老の佐川官兵衛が日光口の新政府を破る。
会津に展開してた山本帯刀ら長岡藩士も勢いにのり士気たかまる。
九月八日、帯刀らは会津の阿賀川を渡河した。山峡特有の濃霧が一帯を覆っていた

469 名前:つづき
投稿日:2005/09/23(金) 01:25:40
午前八時ころ雷のごとき銃砲声がとどろいた。そのままこだまとなり、山間の空気を揺るがした。百名の長岡兵は砲声のする方向に動くが、方向を見誤ったのか、見方がいると思われる所から銃弾が飛んできた。

「味方を撃つとは何事」
しばし返答がない
やがて
「お手前は何藩か」
と問う声がする
「越後長岡」
勘違いしたのはこちらであった。
考えるなり、「やっ」と叫び、新政府軍が一斉射撃を始めた。
悲鳴と絶叫を上げる長岡藩士たちに新政府軍の包囲網は狭まり、長岡兵14名は銃口に囲まれた。
この時、濃霧に紛れ逃げようと思えば逃げれたのだが長岡兵は敵に背を向けるを潔しとしなかった。
捕えられた兵のなかに山本帯刀の姿もあった

470 名前:さいご 投稿日:2005/09/23(金) 01:47:15
捕えられた帯刀は小軍監、三宮義胤に尋問された後、官軍に加わる気はないかの問に断固拒否、14人のうち一人も新政府軍の甘言に乗らなかった。
その場の主力は宇都宮兵だったが、長岡藩兵生け取り名簿は、新政府軍軍監の薩摩藩士、中村半次郎に提出された。

半次郎は躊躇なく言い放った。
「大隊長、山本帯刀と従者の渡辺豹吉を残し斬首せよ」
命令を受け12名の長岡藩士はその場で首を斬られることになる。
翌朝、山本は「再度訊ねっが、錦旗を奉じ、官軍に身を投ずっ気はなか」
訊ねたのは薩摩兵だった。
山本は、敵の軍門に降れと主命は受けてない、さっさと首をはねよ。と言い張る、
覚悟を察した薩摩兵は二人の縄を解かし、
山本、渡辺 の順で斬り、山本は長岡藩の主命に殉じた。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/466-470

60 :日曜8時の名無しさん:2008/04/27(日) 23:54:44.79 ID:BtOXD/LD
「山本帯刀」

慶応4年(1868)の戊辰北越戦争で長岡藩随一の勇者といえば、24歳の若き大隊長の山本帯刀(たてわき)である。
開戦の榎峠の戦いから常に先陣にあり、今町の戦い、八丁沖の戦いでも、河井継之助の前にはいつも帯刀がいた。
継之助が負傷してからの会津への転進では、今度は一転して最も危険な八十里越の鞍掛峠で殿軍(しんがり)を務め、
8月6日から約20日間、多くの同盟軍兵士や藩士の家族そして領民を守り抜いた。

帯刀は常在戦場を旗印とする長岡藩の武門の象徴である家老の山本家を継ぎ、幼くして神童と言われ、あらゆる武術に優れていた。
継之助の改革を率先垂範して実行し、もし帯刀がいなかったら継之助の名声は後世には残らなかったと思われる。

山本帯刀の捕縛の知らせは越後口総督府にもたらされた。
北越戦争の実質的な責任者でありながら長岡で足止めを食った山県狂介の本営はまだ越後の新発田城にあり、
やっと先鋒隊が会津に入った段階であった。
慈眼寺の会談にも岩村精一郎とともに会談に参加した薩摩藩の淵辺直右衛門を含む3人の軍監は、
帯刀の人物を惜しみ助命のために降伏せよと迫ったが、「藩主われに戦いを命ぜしも、未だ降伏を命ぜず」とがんとして降伏を拒否した。

帯刀をはじめ長岡藩士の斬首が決まり、藩主そして長岡の方向に別れを告げ、粛々と異郷の地に散っていった。
くしくも慶応から明治に改元された9月8日のできごとである。

帯刀の家僕の渡辺豹吉は越後から主人と行動を共にしてきた。豹吉は主人の死を見届け、
遺骸を埋めてから死を賜りたいと懇願し、新政府軍の責任者も忠孝に免じこれを許したという。
戦争責任を負わされ、ここに三河以来の武門の名門山本家は途絶えることになる。

「山本家の墓」

長岡藩家老職山本家は、武田信玄の軍師山本勘助の血脈。代々藩主牧野氏に仕え、治政、文政に尽した。
特に老迂齋精義は、名家老と賞賛され、歴代の藩主を50年にわたってよく助けた。幕末帯刀義路は、
北越戊辰戦争で大隊長として奮戦。会津飯寺で痛恨の死を遂げた。
山本五十六元帥は、旧長岡藩士高野家から山本家を継いだ。
はやくから航空機の重要性を説き、連合艦隊指令長官として、近代戦を指揮したが、昭和18年4月18日、南冥に散華した。

                                長岡市教育委員会
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/yamamoto.htm

61 :日曜8時の名無しさん:2008/04/28(月) 00:56:09.58 ID:hnxJOVNw
>>60
感動した

稀代の英雄を単なる田舎の門閥馬鹿家老と決めつけた奴と同じ年なのにこれだけ立派な人物だな

62 :日曜8時の名無しさん:2008/04/28(月) 23:28:33.09 ID:VucCSJq0
維新で中央集権したのは間違いだった。

63 :日曜8時の名無しさん:2008/04/29(火) 09:22:31.93 ID:Z/bfOQUm
これ本当に見せ場満載のいい原作なんだけどね
家族愛も郷土愛もエロも戦闘場面もてんこもり
幕末モノは薩長か幕府&会津かどっちかの視点に偏るのがガチなのにまさに「中立」な視点で明治維新考証できるし

戦争美化が嫌なら「米百俵」と合作してラストにあれもってくればいい

64 :日曜8時の名無しさん:2008/04/29(火) 22:57:04.48 ID:qpjWLwup
蒼竜河井継之助_唄_佐藤太一
http://jp.youtube.com/watch?v=3f_3kIpUQXI

65 :日曜8時の名無しさん:2008/04/30(水) 23:00:41.13 ID:NOwqxxP8
峠の大河化だと登場人物に有名な人が少ないかもしれん
坂本竜馬がいないのは痛いな

66 :日曜8時の名無しさん:2008/05/01(木) 05:42:28.88 ID:NXyiTgwr
>>65
大河なら友人設定も不可能ではない

67 :日曜8時の名無しさん:2008/05/01(木) 11:33:08.10 ID:UclT2wEn
福地桜痴は香川照之のイメージなんだけどなぁ
さすがに坂の上と被るか

68 :日曜8時の名無しさん:2008/05/01(木) 23:49:09.50 ID:pE6AbhDp
>>66
まあ、そうだけど
竜馬とは接点つくりにくそw

69 :日曜8時の名無しさん:2008/05/02(金) 12:38:19.82 ID:P9bKUqxf
河井が江戸で遊学しているときに
遊びに来ていた坂本と出会い、意気投合

大河主役特権で、河井はどこでもドアを持っているので
長岡から四国でも江戸でも一瞬で行けます

70 :日曜8時の名無しさん:2008/05/02(金) 14:10:25.95 ID:gXVMvhd/
河合と坂本が一緒に黒船を見に行く

71 :日曜8時の名無しさん:2008/05/02(金) 21:15:44.34 ID:wBgX2CP7
>>69
峠では移動の厳しさも描かれてるぞ、「雪国は損だ」から始まるんだしw
ただ、けっこうあちこち行ってるからいろいろ登場させるのは可能かも

72 :日曜8時の名無しさん:2008/05/03(土) 21:35:11.33 ID:2L2SQy8W
山田方谷じゃ知名度低そう、佐久間象山のが数段有名だろ。

73 :日曜8時の名無しさ:2008/05/03(土) 21:52:22.13 ID:0IoWeYuk
>>72
佐久間象山のとこへも行ってるだろ

74 :日曜8時の名無しさん:2008/05/04(日) 00:57:12.10 ID:11pvuEkF
阪神電気鉄道初代社長の外山脩造(寅太)もでてくるんだろうね。

75 :日曜8時の名無しさん:2008/05/04(日) 02:39:31.23 ID:NvGkKZzD
花神には峠の話が盛り込まれ河合つぎのすけも登場した。
演じたのは高橋英樹さん。

76 :日曜8時の名無しさん:2008/05/04(日) 22:44:13.90 ID:KX4b76GU
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/452
三島億二郎(1825〜92)

文政8年(1825)長岡藩士伊丹市左衛門の二男として生まれる。 継之助より2歳年上である。
20歳でわずか37石の川島家の養子となる。佐久間象山に学び、吉田松陰とも交流があり、
黒船の来航では調査を命ぜられている。蘭学に秀でており藩校宗徳館の三進といわれた秀才の花輪馨之進、
三間市之進、渡辺進は川島塾の門下生である。また継之助とも親しく、若いころ奥州各地を遊歴している。
継之助と違って性格は温厚かつ沈着であり、華々しく表面にはでることはなかった。
それゆえに継之助に信頼される。 慈眼寺の会談が決裂の後、継之助は億二郎に真っ先に開戦の止むなきを伝えた。
継之助は自らの首と3万両で戦いを避けようとしたが、非戦派だった億二郎が生死を共にすることを誓い、
長く苦しい戦いに突入する。
億二郎が力を発揮したのは、戊辰戦争後の長岡の復興である。下級藩士の出でありながら、
藩主や藩士から人望が高く大参事に抜擢された。そして壊滅的な打撃をこうむった藩士や領民のための産業振興、
教育環境の整備、病院や銀行の設立さらには北海道の開拓と移民など、億二郎の果たした業績は数え切れない。
米百俵で学校が設立されたというが、百俵の代金では学校は建てらず、本や教材費でほとんどなくなる。
億二郎は苦しい財政の中から、三千両の大金を学校建設資金として最優先に割り当てた。
明治25年(1892)68歳の人生を閉じるが、後半生は長岡の基礎造りのために、懸命に捧げた人生である。
継之助や小林虎三郎を凌ぐ逸材であり、長岡藩士で唯一の銅像が、信濃川のほとりで今も長岡を見続けている。


77 :日曜8時の名無しさん:2008/05/04(日) 22:48:53.88 ID:KX4b76GU
三島億二郎

文政8年(1825)長岡藩士伊丹市左衛門の二男として生まれる。 継之助より2歳年上である。
20歳でわずか37石の川島家の養子となる。佐久間象山に学び、吉田松陰とも交流があり、
黒船の来航では調査を命ぜられている。蘭学に秀でており藩校宗徳館の三進といわれた秀才の花輪馨之進、
三間市之進、渡辺進は川島塾の門下生である。また継之助とも親しく、若いころ奥州各地を遊歴している。

 継之助と違って性格は温厚かつ沈着であり、華々しく表面にはでることはなかった。それゆえに継之助に信頼される。
慈眼寺の会談が決裂の後、継之助は億二郎に真っ先に開戦の止むなきを伝えた。
継之助は自らの首と3万両で戦いを避けようとしたが、非戦派だった億二郎が生死を共にすることを誓い、長く苦しい戦いに突入する。

億二郎が力を発揮したのは、戊辰戦争後の長岡の復興である。
下級藩士の出でありながら、藩主や藩士から人望が高く大参事に抜擢された。
そして壊滅的な打撃をこうむった藩士や領民のための産業振興、教育環境の整備、
病院や銀行の設立さらには北海道の開拓と移民など、億二郎の果たした業績は数え切れない。

米百俵で学校が設立されたというが、百俵の代金では学校は建てらず、本や教材費でほとんどなくなる。
億二郎は苦しい財政の中から、 三千両の大金を学校建設資金として最優先に割り当てた。
明治25年(1892)68歳の人生を閉じるが、後半生は長岡の基礎造りのために、懸命に捧げた人生である。
継之助や小林虎三郎を凌ぐ逸材であり、長岡藩士で唯一の銅像が、信濃川のほとりで今も長岡を見続けている。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/misima.htm

78 :日曜8時の名無しさん:2008/05/04(日) 23:06:17.47 ID:KX4b76GU
三島 億二郎 1825-1893 享年69歳。

名称:鋭太郎(えいたろう)。
身分:長岡藩士。

□長岡藩士・伊丹市左衛門の次男として誕生。

□兄・政由(まさよし)が伊丹家を継いだことから1844年、億二郎は
 父・市左衛門の知友・三島徳兵衛に男子がいなかったことから請われて養子となった。

□兄・政由は早くから頭角を現し、藩校・崇徳館(そうとくかん)の教授・山田愛之助がつくった
 治国経済説を主軸とした野僕を尚んだ桶宗(おけしゅう)という一党の首領として藩内の若手を指導した。

 しかし、政由は29歳の若さで没したため、伊丹家は三男・秀三郎が継ぐことと成った。
 桶宗党には、河井継之助、小林虎三郎らとともに億二郎もこれに加わった。

□1853年6月、浦賀にペリーが来航すると江戸在勤中だった億二郎は船を雇って、
 ペリー艦隊の間近まで行き、つぶさにその精悍な軍艦を観察した。
 それでも物足りない億二郎は、幕府役人が久里浜で米国の国書を受け取る時、
 佐賀藩の便宜で槍持ちとしてその場に列して、米兵に近接し、その隊伍の整然さ、規律の厳格さに触れ、
 「六月なのに寒さを感ずる」(”六月猶ほ寒さを覚ゆ”)と評した。

 当時、最新鋭の軍事力を目の前にした、億二郎の目には、攘夷の思想など夢物語だと思ったに違いない。

□1854年、国書の返事をもらいにペリーが再来航すると、この時次席老中兼海防掛だった長岡藩主・牧野忠雅は、
 長岡藩政の富強策について広く藩士に意見を求めた。
 河井継之助、小林虎三郎、鵜殿団次郎春風らとともに億二郎も意見書を提出。

 最新鋭の西洋兵器配備を主張したが、藩内門閥の抵抗にあい職を免責されてやむなく帰藩した。

□帰藩した億二郎は、同様に帰藩していた継之助とともに諸藩事情を得るため、奥州各地を遊歴した。
 新潟から船で出羽温海(あつみ)へ渡り、庄内を経て石巻、金華山、松島、仙台などを巡り歩き、名勝・古跡を探索。
 それとともに各藩の政治状況や藩論を見聞した。

□億二郎の性格はいたって温厚沈着にして表に出て陣頭指揮をとる人物ではなかった。
 河井継之助ら雄才の補佐的な立場をとって行動した。
 ゆえに継之助ら諸藩士から絶大な信任を得ていた。

□小千谷談判(おぢやだんぱん)が決裂すると継之助は、わざわざ億二郎に会いに行き、開戦のやむなきを伝えた。
 この時、億二郎は平生の所信と違うではないかと問うと、継之助は自らの首級と3万両を官軍に提出すれば、
 或いは戦争回避が可能かもしれないと述べた。
 それを聞いた億二郎は、継之助を一人死なせては平然と己一人生きることは出来ないとして生死をともすることを誓ったという。

□かくして、長岡藩は官軍と熾烈を極める激戦を越後の地に繰り広げた。
 億二郎の活躍は、戦後の継之助や長岡藩なきあとの復興政策であった。
 戊辰戦争後の壊滅的な打撃をこうむった長岡領民のために救助米貸下げの実現や長岡藩廃藩に至る実務、
 帰農、帰商の促進、産物会所、女紅場の開設など産業復興、小学校・長岡洋学校等の教育促進整備、
 病院や銀行の設立、さらには殖民のための北海道開拓と移民の手配など億二郎の功績には枚挙にいとまがない。
 官軍に反抗した賊軍の将という汚名を背負いながら、億二郎は戦後の人々に”戦後を生きる人々”のあるべき姿を世に示し、
 破壊する武人とは対比する再興に命をかける偉大な一近代市民としての偉業を果たしたのである。

□1893年、69歳で没するまで億二郎は、不休不屈の戦後再興を行った。
http://jpco.sakura.ne.jp/shishitati1/kakuhan-page1/16/16-7.htm

79 :日曜8時の名無しさん:2008/05/06(火) 07:16:42.02 ID:8mlZOiKy
ここ長高卒いるだろw

80 :日曜8時の名無しさん:2008/05/06(火) 12:59:12.78 ID:0a1HHT9N
>>79
そいがー?
そんげことねーろや

81 :日曜8時の名無しさん:2008/05/06(火) 14:09:35.34 ID:nWU8AbVE
あの肖像画は360万円以上の価値があるんだっけ?

82 :日曜8時の名無しさん:2008/05/07(水) 21:49:50.79 ID:tCCinGQN
小林虎三郎って以外に有名みたいだね。
元総理大臣の小泉純一郎が演説に名前をだしたらしい。

83 :日曜8時の名無しさん:2008/05/08(木) 09:03:54.78 ID:b5//Kzkr
何を今さら
米百俵が出たら小林虎三郎も出るだろう

84 :日曜8時の名無しさん:2008/05/08(木) 11:03:32.71 ID:PrQN0ERS
昔。教科書に出てたんだよ。
米百俵は。

85 :日曜8時の名無しさん:2008/05/08(木) 13:08:09.26 ID:4AMM6fvX
篤姫にちろっと出るらしいと聞いた

86 :日曜8時の名無しさん:2008/05/08(木) 23:47:09.10 ID:YLS+650S
>>84
へー、マジ?

87 :日曜8時の名無しさん:2008/05/09(金) 03:32:29.62 ID:QzN2WX0c
小林虎三郎は理性!
河合継乃介は気概!
国を思う気持ちに変わりなし!

http://nscs.jp/cm/cm2.wmv

河井と小林がCMで共演してるw

88 :日曜8時の名無しさん:2008/05/09(金) 11:32:00.77 ID:ftRDr1Sj
気概だけで理性の無い人ってバッサリですな

89 :日曜8時の名無しさん:2008/05/09(金) 11:52:23.85 ID:avcc/Abm
長岡にとっては大迷惑だったが第三者な立場から見れば英雄
友人の借金の保証人になって破産するお父さんみたいなもんですかね

90 :日曜8時の名無しさん:2008/05/09(金) 12:04:57.87 ID:apVlTDYi
同じ長岡なら、山本五十六的英雄ですよ。
大局的には英雄とは呼べないが、そう呼ぶことを否定する気は起こらない。


91 :日曜8時の名無しさん:2008/05/09(金) 22:44:50.66 ID:+CvqvNnN
田中角栄もそうだけど、長岡出身の英雄児って晩年悲惨だね

92 :日曜8時の名無しさん:2008/05/10(土) 01:07:42.71 ID:hJMzUaNg
実は、田中角栄は柏崎市出身です。

93 :日曜8時の名無しさん:2008/05/10(土) 22:38:12.30 ID:XxR2+9b+
長岡藩の藩是は常在戦場だけど
これは上杉謙信の常在戦場の心得から取られたのかな?

『常在戦場の心得』
運は天にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり
何時も敵を掌にして合戦すべし 疵つくことなし
死なんと戦へば生き 生きんと戦へば必ず死すものなり
家を出ずるより帰らじとおもえば又帰る 帰ると思えばこれまた帰らぬものなり
不定とのみ思うに違わずといえど、武士たる道は不定と思うべからず 必ず一定と思うべし

94 :日曜8時の名無しさん:2008/05/11(日) 23:55:02.74 ID:qaPlWqqB
>>90
山本五十六と河井は深い繋がりがあるらしい

95 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 10:49:23.07 ID:amA2wz9y
与板・栃尾も長岡入りで何気に長岡が人材の宝庫と化してる件に関して

謙信を育てた土地でもあり、直江の与板もあるわけで

96 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 10:57:17.74 ID:1pcjrzuV
>>93
今現在だと、まだガクトのあの調子で思い出してしまうな・・・

97 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 13:03:38.02 ID:doRT8HUl
あの紅白画像は面白かったよ


「峠」だったら一番エキサイティングなのは長岡城陥落と八町沖夜襲
特に八町沖は月光の下の泥濘から起き上がる戦士像が実に絵になる

98 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 13:14:06.52 ID:4mQV7aS+
長岡城奪還の顛末は、
「一戦後和平」が有り得なかった見本。
後世の軍人は、こういうところを見本にして欲しかった。


99 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 17:22:16.72 ID:1wDfAHTS
>>86
25話らしいよ

100 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 21:39:15.10 ID:RHH1hhgR
怨念の系譜

101 :日曜8時の名無しさん:2008/05/12(月) 23:16:28.98 ID:g7ywmwez
正直、河井継之助の大河やったとしても小林虎三郎はだせないだろ?
この2人は敵対してたんじゃなかったか

102 :日曜8時の名無しさん:2008/05/13(火) 00:34:40.71 ID:KjvwbzoD
「敵対していたら出せない」てのは、どういうリクツなのだ?
仮面ライダーが主役ならショッカーは出せないのか?そりゃムチャだ。

103 :日曜8時の名無しさん:2008/05/13(火) 10:42:46.88 ID:njstBVzM
河井継之助の大河だとその死でほぼ終わるから
後日談があるにしても米百俵のエピソードをそこに入れるのは無理がある。
だけど、小林虎三郎が出せない事はない。

敵対というと「峠」の三島億二郎との敵対しつつも相手を認めるエピソードが好き。

104 :日曜8時の名無しさん:2008/05/13(火) 10:48:35.41 ID:D5RT0Ecc
継サの火事見舞いとか開戦反対で閉門とかあるじゃん@小林病翁

105 :日曜8時の名無しさ:2008/05/13(火) 20:01:58.21 ID:o8UK0v3p
>>101
俺は「峠」の河井が好きなんだ。小林虎三郎も出てくるだろう。
長岡の郷土史家のを本をベースに脚本家がオリジナルで書いても見る価値は無い。

106 :日曜8時の名無しさん:2008/05/13(火) 23:43:25.52 ID:ppwTY17E
河井の死で終わる物語だとカタルシスがないのでは?
小林虎三郎や三島億二郎の長岡復興がないと寂しい終わり方になるぞ。

107 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 07:53:32.44 ID:OYTsa9JF
>>106
風鈴みたいな終わり方でいいんじゃね?

108 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 09:46:46.23 ID:mbtkEYp4
小林虎三郎の米百俵を最終話に持ってくればいいじゃん

理想を求めて天を駆けようとしたのが蒼龍河井
しかし地べたに脚をつけて未来を求めるのが虎三郎

民衆の為に人生捧げたのに、その民衆によって打ち砕かれてる河井の墓を前に、
自分と河井の選択のどちらが正しかったのかは100年後の人間が判断すればいい
どっちの道を歩もうとも、誇りある人間として未来へ命をつなごうとしたことに変りはないぜ
俺は俺のやり方で長岡を復興させる
どんなに深い根雪でも溶ければ水になって田畑潤すんじゃベイベー


・・・てな感じで

109 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 09:48:39.16 ID:YCmT+jRg
せっかくの米を手に出来ずとも、わしを恨むな。

河井を恨め。

110 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 09:55:41.83 ID:mbtkEYp4
てか、河井は「最後の武士」
政治家としてではなく武士として生きたために長岡壊滅させたわけで

その生き様は美しいが、最後のところで時代に取り残されたちうか

111 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 11:26:00.29 ID:P8axq95E
他人様の人生むちゃくちゃにしといて生き様が美しいとかで片付けられたらそりゃ恨まれて当然だわな

112 :日曜8時の名無しさん:2008/05/14(水) 13:13:45.76 ID:hG6zAi6G
最後っ屁で自ら長岡に放火したのはさらにまずかったな
戦国時代じゃねえんだし

113 :日曜8時の名無しさん:2008/05/15(木) 23:38:53.56 ID:vz0TFIae
小林虎三郎ってそんなに有名なのか

114 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 08:25:14.26 ID:b9MhwNXh
有名なのは虎三郎というより米百俵だろう
小泉のお陰で

115 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 12:28:37.16 ID:qSI2wpMj
佐久間象山門下で、吉田松陰とともに「二虎」(両虎)と呼ばれた俊才。
一時脱藩して諸藩の志士と交わるが、のち帰参。
長岡藩士だったので維新での活躍はなかったが、紙一重で官軍にいた人物で、
官軍側にとってはそこそこ名の知れた旧知の人物。
一方、河井は藩内の正規のルートでで出世した人物。
藩益という点では、講和を考えたときに使者に立たせるべき人物だった。

象山門下のころの吉田松陰を語るときには必ずと言っていいほど引き合いに出されるので、
もともと一定の全国的知名度がある人物。

116 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 13:55:04.95 ID:YbnaWqxp
慈眼寺の会談が全て

あそこで官軍が河井捕獲してくれれば長岡は燃えなかったし河井も明治まで温存できたし
「そういう事情だからお味方できないの ゴメンネ」と会津に言訳もたった


117 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 19:57:02.34 ID:Kt+qv3yp
小林虎三郎の米百表物語

これ映画化されたけど、ガトリング家老が乱心した暴君にしか見えない・・・

118 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 20:01:34.92 ID:WTKr8Fei
藩益とか会津への配慮とか
ただガトリング砲を実戦で使ってみたかっただけなんでないの?この人

119 ::2008/05/16(金) 23:41:33.62 ID:mr6A87ZO
小林虎三郎
略歴:長岡藩士
佐久間象山に学び、吉田寅次郎(松陰)とともに「象山門下の二虎」といわれた。
病身なことから「病翁(へいおう)」と号す。戊辰戦争後、長岡藩の大参事に推される。米百俵の話は有名

時事ネタということで。
小泉首相が所信演説で「米百俵」の話をされた。そこで、「米百俵」って何?っていうのが今回のお話。
前に「河井継之助」のところで話をしたが、越後長岡藩は会津藩擁する奥羽越列藩同盟の加担し、薩長軍=官軍と戦った。
結果的には敗れ、河井は戦死。長岡は2度の落城により(何故2度もと言う方は河井継之助の項を参考)、長岡は灰燼に帰した。
更に、奥羽方の敗戦は長岡の運命を過酷にした。

明治新政府は負けた奥羽越の諸藩を賊軍として過酷な戦後処理を行った。
中でも長岡藩の厳しい抵抗を恨んだ新政府は、長岡藩の禄高を7万4千石から2万4千石に減らされた。
当時、長岡藩は表高7万4千石とはいえ、実質12万石あったと言われていたが、
そこから2万4千石に減らされたのだから、藩士たちの生活の苦しさは想像できるであろう。

このころの長岡藩士の生活の苦しさを今に伝える建物が残っている。(正確には復元されたのだが)
山本五十六の生家である。山本の生家は、太平洋戦争の長岡空襲によって焼失してしまったが現在、山本公園内に復元されている。
それは、はっきり言ってあばら家(失礼)としか言いようのない粗末な家である。
山本五十六が生まれた高野家(山本は養子として、山本家に迎えられた)は長岡藩の中でも中級武士の家柄で
決して低い家柄ではない。その高野家でさえ戊辰戦争後に建てた家は粗末なものであった。
他の武士の生活の程度が偲ばれよう。長岡藩士の生活は困窮を極めた。
その有様を見かねた支藩の三根山藩(1万1千石)は、見舞いのため米百俵を送った。

120 ::2008/05/16(金) 23:44:05.06 ID:mr6A87ZO
しかし、大参事だった小林虎三郎は、米百俵を元手に学校を建てると言い出した。
それを聞いた、藩士たちは激昂し、米をよこせと詰め寄った。
しかし、虎三郎は藩士たちを前に、
「百俵の米など藩士全員に配り歩いたところで、数日しか持たん。食ってしまえばそれまでである。
しかし、それではいつまでたっても本当に食えるようにはならない。
学校を建て人物を育成するのが、まだろっこしいようだが一番の近道である。
今は百俵の米が、そのときには万俵にもなるのだ」 と、説得し、初志をつらぬいた。

虎三郎の学校は明治3年に「国漢学校」と名づけられ、後の長岡高校になり、
出身者は小野塚喜平次(東大総長)、斎藤博(駐米大使)、山本五十六などが出た。

この逸話は、昭和18年山本有三の戯曲として発表され、初演は築地の東京劇場で演じられたことから有名になった。
(と、資料には言われているけど主に地元で言われているんじゃないのかなあ)
私が、この逸話を知ったのは中学のとき。道徳の教科書に載っていた。教科書に載るぐらいだから結構有名な話なのだろう。
その後、実際長岡に行くと「米百俵」と名前を冠した菓子まで売っている。(平成2年当時)

今回、総理の所信演説に取り上げられたことで、地元長岡は「米百俵」の逸話を広めようと活動を起こすらしい。
なんにしても目先の利益に追われる昨今、先を見通して行動した「米百俵」の逸話が広がることは良いことだと思う。

〈継之助と虎三郎〉
さて、虎三郎も傑物ならば河井継之助もまた傑物であった。実際、この二人はよく比べられることが多い。
(虎三郎ファンはだいたいアンチ河井である)
この二人の関係はどうだったのであろうか。実はご期待通り(?)仲が悪かった。
藩政をめぐっての意見対立が、感情的にまで発達し犬猿の仲になったらしい。
やがて、継之助は藩政の中枢に昇ったが、虎三郎は病身のため役職に就く事は無かったが、
常に継之助の藩政を批判し、継之助の批判勢力として藩内に隠然として存在した。
この当時、虎三郎と継之助の間に逸話がある。

ある日、虎三郎の家が火事になった。焼け出されて途方にくれていた虎三郎のもとに家財道具を荷車に積んで
火事見舞いに駆けつけた男がいる。その男こそ他ならぬ喧嘩相手の河井継之助である。
感動した虎三郎は、「せめてもの礼である」と言って、継之助の藩政を痛烈に批判した。
虎三郎にすれば継之助の間違いをただし、正しい方向に導いてやるのがせめてもの礼であると考えたのであろう。
継之助はその後、知人宅で「小林は豪い」と言ってしきりに誉めたと言う。
まあ、継之助とすれば虎三郎が焼き出されたのを幸い、恩を売って批判を止めさせようと火事見舞いを送ったのだろうし、
また、虎三郎を誉めたのも、面と向かって痛烈な批判を受ければ誉め飛ばす(?)しか方法がなかったのだろうと思う。
それにしても、小林虎三郎という人物は、自分の信念を曲げないというか、やっぱり「豪い」としか言いようが無い。
ここまで書いて思い至ったのだが、「信念の人」と「頑固じじい」との違いは何なのか?
どこが違うのか。やっぱり見識の違いなのでしょうね
http://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/kobayashi_torasaburou.htm

121 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 23:57:22.59 ID:mr6A87ZO
小林虎三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%99%8E%E4%B8%89%E9%83%8E

小説『峠』の舞台となったまち新潟県長岡市
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/nagaoka-hanabi/toge.html

米百俵の精神はこうして生まれた
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/nagaoka-hanabi/kome.html

米百俵で未来を創った男-小林虎三郎
http://torasa.fukikou.net/

122 :日曜8時の名無しさん:2008/05/16(金) 23:58:45.00 ID:mr6A87ZO
小林虎三郎と吉田松陰

小林虎三郎と長州の吉田松陰は、江戸木挽町の佐久間象山の塾で同門でした。
虎三郎は、入塾後わずか2年で塾頭となり、オランダ語の購読などを象山に代わってやっていました。
吉田松陰は、少し先に入塾していた虎三郎の紹介によって象山に見え、入塾することになります。

吉田松陰の名は寅次郎といい、虎三郎と同じ「とら」という字が入っていたため、この虎三郎と松陰は、
象山門下の「二虎」、あるいは「両虎」と並び称されていました。
両者とも性格は異なっていたものの、妙にウマが合ったそうです。

名前が似ていること、年齢もほとんど同じ(入塾時、虎三郎が数えで24歳、松陰が数えで22歳)で、
天然痘の痕の“あばた”まで同じで、同じ塾に同時期に入門していることなどから、自然と心を開いて、仲がよくなったのでしょう。

もちろん、お互いの資質を認め合っていたのは言うまでもありません。
師匠の佐久間象山もこの「両虎」には、相当の期待をしていたわけで、次のような有名な評価をそれぞれにしています。

「義卿(松陰)の胆略、炳文(虎三郎)の学識、皆稀世の才なり。但事を天下に為す者は、吉田子なるべく、
我子を依託して教育せしむべき者は、独り小林子なるのみ。」

胆略は吉田松陰、学識は小林虎三郎である、とした佐久間象山は、この両虎の資質をよく見抜いていたと言えます。
幕末の動乱期に際し、回天の仕事をするのは吉田松陰で、百年先を見通した仕事をするのは小林虎三郎、としています。

小林虎三郎と吉田松陰は、両名とも幕末期に大きな働きをした人物と言えます。
http://torasa.fukikou.net/shougai/shouin.html

123 :日曜8時の名無しさん:2008/05/17(土) 00:00:53.98 ID:mr6A87ZO
小林虎三郎と河井継之助

河井継之助は、幕末期の長岡藩の家老を務めた人物で、小林虎三郎とは遠い親戚にあたる間柄です。
河井継之助と聞くと、司馬遼太郎の「峠」を思い出される方も少なくないと思います。

その小説の中では、河井継之助と小林虎三郎はライバルであり、政治的に意見が合わず、
仇敵のように対立していたと描かれていますが、実際の対立は、政治思想の違いによる意見や考え方によるもので、
そんな仇敵のようなものではなかったようです。

実際、河井継之助と小林虎三郎は、長岡藩の藩儒であった山田愛之助の元に集まる同志でした。
彼らの政治や政策上での考え方の違いは、小林虎三郎の師匠である佐久間象山と、
河井継之助の師匠である山田方谷がそれぞれに与えた影響が大きいと思います。
(河井継之助は佐久間塾にも在籍していた。)

河井継之助は、政治に対しては山田方谷ゆずりの財政・実務的な考え方で、
現在の危機を脱するために、急進的な改革もしたりしました。

これに対して小林虎三郎は、精神の教育や学制の改革などに基本を置く考え方で、
これができて公正な政治と経済が可能であるという根本的なものでした。

2人の対立は、おそらくこの政治思想の違いによるものと思われます。

薩長軍が長岡に迫って来た時、河井継之助も小林虎三郎も、戦争をしたくないという思いは一緒でした。
河井の立場であれば、戦争は仕方がなかっただろうとも思います。
小林虎三郎も絶対非戦論者ではなく、薩長軍が「天朝」の旗印の下に統一国家をつくろうとしているのだから、
一時の屈辱を我慢してでも戦争はしてはならない、と主張していただけでした。

もし戦争となった場合は、藩主のため、お国のために必死に戦わなければならないと考えていました。

前述の司馬遼太郎の「峠」で、小林虎三郎の家が火事になった話があります。
困窮していた小林虎三郎に、普段は意見対立していた河井継之助が火事見舞いに訪れます。
これに感激した小林は、河井の心遣いに対して、「返礼」をします。
その返礼とは、河井の物の考え方、施政、人の使い方などに対しての誤りを申し述べることでした。
火事見舞いのお礼として激しい批判を浴びた河井は、それでも「小林という男は、どうにも、えらい。」と思わざるをえませんでした。

それは、火事で無一文になっても、火事見舞いにきた人間に対して、
「返礼として、せめて苦言だけでも」と言って批判する、そういう卑しさの全くない態度に、ただ感動したからです。

小林虎三郎とは、そういう人物でした。
http://torasa.fukikou.net/shougai/tsugisa.html


124 :日曜8時の名無しさん:2008/05/17(土) 03:41:26.66 ID:S7SPsU+D
河井ツギノスケの憂鬱(God knows...)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm674697

ニコニコに継サの動画があったw

峠に忠実じゃなく、峠を参考としたオリジナル脚本なら
小林虎三郎をある程度大きく扱えば勝海舟もでてくるし
竜馬もだしやすいんじゃないか?

125 :日曜8時の名無しさん:2008/05/18(日) 23:19:38.79 ID:+P16ruYq
佐久間象山の教え子

小林虎三郎は嘉永4年(1851)、24歳で佐久間象山の門に入った。
入門の経緯は象山が天保9年(1838)新潟において、新潟奉行の虎三郎の父又兵衛と知り合い、
虎三郎の教育を頼んだことに始まる。

虎三郎の入門から少し遅れて、吉田寅次郎(松陰)が入門してきた。象山は多くの門人の中でも偉才を放つ、
虎三郎と寅次郎には期待するところが大きかった。
「松陰の胆略と虎三郎の学識、皆稀世の才なり。ただ天下に事を成すのは松陰で、
わが子の教育をせしむべき者は虎三郎ただ一人である」(佐久間象山)

虎三郎は入塾二年で塾頭になる。「象門の二虎」と言われた二人は、黒船の来航で運命が大きく翻弄される。
黒船で密航を問われた松陰が、幽閉された野山獄から師象山に手紙を送った。

「私(松陰)が先生(象山)に初めて会ったとき、虎三郎が紹介してくれた。
虎三郎は天然痘で顔にあばたがあり私と同類。年齢も同じくらいで、名前も偶然「虎」で同じである。
ただ違うのは虎三郎には才能があるが私にはないことだ。
虎三郎は先生との関わりで罪を負うことになったが、私は罪を犯して先生に迷惑をかけてしまった。」
(松陰の象山平先生に与ふる書より要約)

松陰と虎三郎、ライバルとしてお互いを認め合った二人の関係が見えるようだ。
---------------------------
象山塾からは幕末の風雲児坂本龍馬や勝海舟など数多くの偉人が誕生したが、
師も認めるように小林虎三郎と吉田松陰は出色の人物である。
謹慎や投獄で活躍を制限されたことは誠に惜しい。

◎象山塾の主な塾生
嘉永3年(1850)勝海舟
嘉永4年(1851)小林虎三郎、吉田寅次郎(松陰)、宮部鼎蔵(松陰の友、池田屋事件で死亡)
嘉永5年(1852)河井継之助、加藤弘之(後の東大総長)
嘉永6年(1853)坂本龍馬
嘉永7年(1854)橋本左内、真木和泉
   ?       三島憶次郎

◎山田方谷の佐久間評
方谷は江戸の佐藤一斎塾で象山と同門であった。ライバルとして常に論争したが、いつも方谷が論破したという。
方谷を訪ねた継之助に「象山には温良恭謙譲の一字の何れもない」と語ったと塵壷にある。
温(おだやか)良(すなお)恭(うやうやしい)謙(つつましい)譲(ひかえめ)のことで、孔子の5つの徳のことをいう。

初対面の継之助に、「封建の世において、人に使われることができないのは、つまらないもの」とさとし、
象山に似た性格の継之助の将来を憂慮した。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/sakuma.htm

126 :日曜8時の名無しさん:2008/05/18(日) 23:28:15.99 ID:78MWehAX
このスレ読んでたら帯刀主人公がヨクね?と思っちゃいました。

127 :日曜8時の名無しさん:2008/05/19(月) 23:31:27.87 ID:mXHMVrL3
>>125
河井と龍馬が知り合いでもおかしくないかも
河井は有名な変人だったらしいしw

128 :日曜8時の名無しさん:2008/05/20(火) 16:47:06.40 ID:CEOwMJxV
今なら河井役は誰がいいだろう
品はあるかもしれないが、歌舞伎役者はヤダなー

129 :日曜8時の名無しさん:2008/05/23(金) 23:00:40.88 ID:bT37hbJ+
阿部ちゃんだな

130 :日曜8時の名無しさん:2008/05/24(土) 07:32:49.56 ID:qf9kSjx4
>>108
小林と恭順派も描いて、
二つの生き方を示すような感じで作ったら面白そうだ。
>>95
ハンチントンじゃないけど、
過去に有名人を輩出したり、地域を併呑した地域は、
その後も結構活躍するよな。
薩長土肥にしても、薩摩は島津で九州を征し、
長州は毛利で中国を征し、
土佐は四国を制したチョウソカベの根拠にしたところで、
ここで野に下った元チョウソカベの武士の末裔である郷士が活躍する。
肥前は北九州を制した竜造寺だ。

131 :日曜8時の名無しさん:2008/05/24(土) 23:03:31.66 ID:jbmkf/cP
小栗上野介もだせたらかなり厚い話になるんだが
そういえば大政奉還の起草者が山田方谷らしいね

132 :日曜8時の名無しさん:2008/05/27(火) 23:29:19.86 ID:VdscfNTh
直江兼続やめて河井継之助にしてくれ!

133 :日曜8時の名無しさん:2008/05/28(水) 10:03:14.48 ID:FCu1y8n8
小松が脚本ならやめた方がいい。直江は悪くない

134 :日曜8時の名無しさん:2008/05/28(水) 12:18:01.17 ID:i5TWIlHF
マキノノゾミがいいなー

135 :日曜8時の名無しさん:2008/05/29(木) 11:05:42.81 ID:QoRjy6VK
河井の配役は、中村雅俊か原田大二郎がよい。写真に似ている

136 :日曜8時の名無しさん:2008/05/29(木) 11:30:56.23 ID:kzasXF/D
ちょっと年行きすぎじゃないかね
でも原田大二郎いいな、もっと若ければ…

137 :日曜8時の名無しさん:2008/05/29(木) 15:08:53.73 ID:ZeojAO/A
妹役結婚したね。

138 :日曜8時の名無しさん:2008/06/01(日) 16:11:40.24 ID:MEzDYlW9
大河じゃなくてNHKの連ドラでもいいから
ガトリング撃ちまくってほしい

139 :日曜8時の名無しさん:2008/06/02(月) 23:11:37.39 ID:kgys/QO8
篤姫はどうにもつまらん・・。
やっぱガトリング家老の大活躍がみたいぜ!

140 :日曜8時の名無しさん:2008/06/03(火) 22:33:57.03 ID:7zYSId4F
豪華な布陣、「天地人」出演者発表

NHKは3日、妻夫木聡(つまぶき・さとし)さんが本県ゆかりの戦国武将・直江兼続(なおえ・かねつぐ)役を
演じる来年の大河ドラマ「天地人」の主な出演者を発表した。
兼続の主君上杉景勝(かげかつ)に北村一輝(きたむら・かずき)さん、妻お船に常盤貴子さん、
上杉謙信に阿部寛さん、真田幸村の妹初音に長沢まさみさんを起用、豪華な布陣となった。

この日発表されたのは、ドラマ序盤の舞台となる越後に登場する12人。
上杉景虎は玉山鉄二さん、景勝の妹華姫は相武紗季(あいぶ・さき)さん、
兼続の弟樋口与七(よしち)(大国実頼)を小泉孝太郎さんが演じる。

東京・渋谷のNHK放送センターで会見した妻夫木さんは「人間が生きる上でどうあるべきか知ってもらえる作品」と期待。
本県での撮影が続いていることに「新潟に呼ばれているのかなという思い。親近感がわいている」と笑顔を見せた。
常盤さんは「お船は政(まつりごと)にもかかわる、この時代には珍しい女性。今の感覚で演じても大丈夫だと思う」と意欲を語った。

撮影は8月下旬から本県などで始まり、来年1月から放送される予定。
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=110880

げ、阿部ちゃんに継之助をやって貰いたかったんだが謙信やるのかよ・・・
まあ、河井継之助の大河なんか決定してないんだけどねw

141 :日曜8時の名無しさん:2008/06/05(木) 18:07:51.31 ID:vCLVh683
番組からのおしらせ(2008/6/5)

2010年の大河ドラマは「龍馬伝」。坂本龍馬の生涯を描きます!
2010年の大河ドラマは「龍馬伝」。坂本龍馬33年の生涯を描きます。

2009年8月にクランクイン、2010年1月から1年間の放送を予定しています。どうぞご期待ください!

【名もなき若者は、その時「龍」になった】

「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、
幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描くオリジナル作品。

土佐から江戸、そして世界へ。龍馬の行くところ、時代が怒濤のように動き始める。
いつも自分の先を歩く同郷の天才龍馬への憧れ、妬みは師・吉田東洋暗殺を機に憎しみへと変わり、若き弥太郎を苛む。
長崎で再開した二人は衝突を繰り返す中で急接近。
「世界の海援隊を作る」龍馬の志は龍馬暗殺の後、弥太郎に引き継がれていく。
そして、龍馬の妻お龍や志士たちのパトロン・大浦慶など変革の時代を力強く生き抜いた女性たち、
一攫千金を夢見て黄金の国ジパングに乗り込んだ英国商人グラバーなど、魅力溢れる登場人物が新しい龍馬の伝説を彩る。
名も無き若者が世界を動かす「龍」へと成長していく姿を、壮大なスケールで描く青春群像劇「龍馬伝」、ご期待下さい。
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_ryouma.html

うわ、2010年は龍馬だってよ・・、北越の蒼龍やってくれよ!
2010年に幕末ものがきてしまったらガトリング家老の大河はだいぶ先になりそうだ・・

142 :日曜8時の名無しさん:2008/06/06(金) 18:04:54.49 ID:up13nYD9
そこで、幕末群像っぽく「その頃、越後長岡では・・・」と、ガトリング家老が登場!

しませんよね、すみません。

143 :日曜8時の名無しさん:2008/06/06(金) 18:30:10.72 ID:aua19kKX
河井継之助役に真田広之なんかどうだろう?
背丈といい雰囲気といい合いそう
NHKさん、大河にしてくれないか!

144 :日曜8時の名無しさん:2008/06/06(金) 18:53:46.91 ID:U0C3juS+
ムネオに似てね?

145 :日曜8時の名無しさん:2008/06/06(金) 19:01:32.58 ID:2CYGQ7hG
いや!原田大二郎だ!

146 :日曜8時の名無しさん:2008/06/06(金) 19:17:21.71 ID:aua19kKX
>>144-145
ちょっと待ってくれよ、それじゃ絶対数字取れないよ・・
いくらNHKが民放と違い視聴率関係ないとはいえ
ムネオや原田大二郎が主演で大河ドラマの企画通るわけないだろっ!

147 :日曜8時の名無しさん:2008/06/07(土) 23:52:13.70 ID:lgSgvSJs
唐沢寿明がよくね?

148 :日曜8時の名無しさん:2008/06/08(日) 12:33:10.58 ID:TxJ6tt6Z
バカ野郎!中村雅俊だ!

149 :日曜8時の名無しさん:2008/06/10(火) 23:09:11.97 ID:AjKoyle9
実は美人であったと伝わる妻すがの配役が1番大事じゃないのか

150 :日曜8時の名無しさん:2008/06/10(火) 23:23:37.96 ID:snsUXC+k
年齢的には「ほんじゃまか」の恵があってる
つか河井って顔はサル顔だなー。

「花神」の英樹のイメージから入ったもので写真を見たとき衝撃受けた。
神谷明なみに。

151 :日曜8時の名無しさん:2008/06/11(水) 00:17:07.58 ID:nUgmNphq
>>149
すがは写真で見たが美人ではない。
すが役は過去に上村香子、石野陽子、稲森いずみといずれも美人女優が演じている。
石野陽子の時の河井が来年の謙信か。

152 :日曜8時の名無しさん:2008/06/11(水) 20:20:32.33 ID:1XfvUMvs
>>150
でも継サの顔は味があるしかっこええじゃないの

153 :日曜8時の名無しさん:2008/06/13(金) 22:39:01.35 ID:sxtMI0K7
残っている継サの写真見て、本田博太郎がピッタリだと思った。 もちろん本気じゃないが。

154 :日曜8時の名無しさん:2008/06/13(金) 23:17:02.11 ID:lip9jWry
本田いいな

155 :日曜8時の名無しさん:2008/06/13(金) 23:36:01.96 ID:/cYb2HQ+
北京原人が家老になる長岡。

156 :日曜8時の名無しさん:2008/06/14(土) 13:06:16.47 ID:SMf5aQVz
個性派俳優本田博太郎による、川合つぐのすけ

157 :日曜8時の名無しさん:2008/06/15(日) 23:16:00.26 ID:9Nsv5dOP
背が高いけど、やっぱ阿部ちゃんがいいだろ!
河井を一回やってるんだけどね

158 :日曜8時の名無しさん:2008/06/18(水) 21:20:05.09 ID:cnDdH2/R
フットボールアワーの岩尾の顔なら。

159 :日曜8時の名無しさん:2008/06/23(月) 22:15:06.76 ID:aJrarhoA
キムタクがいいんじゃね?

160 :日曜8時の名無しさん:2008/06/24(火) 17:13:03.56 ID:Cv0Rk8sK
>>159
話題性的にはいいと思うが
木村は好きじゃない。

161 :日曜8時の名無しさん:2008/06/25(水) 21:52:31.34 ID:EITn7brU
坂本龍馬よりも河井継之助の方が圧倒的に能力がある

162 :日曜8時の名無しさん:2008/06/26(木) 15:13:10.85 ID:p0ODxrWP
河井継之助を堤真一でやってくれ

163 :日曜8時の名無しさん:2008/06/26(木) 21:13:18.41 ID:EqLip7Fd
>161
何の能力かも気になるが、なぜここで能力くらべになるのだ?

164 :日曜8時の名無しさん:2008/06/27(金) 02:14:28.04 ID:QqlP1rxb
>>161
小藩の枠を抜け出せなかった時点で・・・

165 :日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 12:27:57.78 ID:06uFEoSN
坂本自体能力に疑問が。

166 :日曜8時の名無しさん:2008/06/30(月) 13:35:11.51 ID:7IvSKR0c
「運動能力」だけに限定しても、
50m走、垂直跳び、幅跳び、立位体前屈、ハンドボール投げ、反復横飛び、踏み台昇降、etc
と、いろんなモノサシがある。
単に「能力」って言われてもな。絵の上手さなんだか暗算の速さなんだかアルコールの代謝能力なんだか。
「ポテンツ」だったら「性的能力」を連想するんだが。

167 :日曜8時の名無しさん:2008/07/01(火) 02:21:06.18 ID:hOH26Xjg
坂本龍馬なんぞガットリング砲でフルボッコだろ
北辰一刀流だろうがポテンシャルが違うぜ

168 :日曜8時の名無しさん:2008/07/02(水) 12:34:19.48 ID:uj5Mertn
意外と、福地桜痴を木村拓哉なんかいいんじゃない
「ちょ、ちょおま待てよっwww」って軽薄だけど・・・みたいな

169 :日曜8時の名無しさん:2008/07/02(水) 21:33:22.13 ID:tseRIX03
河井は織田裕二がいい

170 :日曜8時の名無しさん:2008/07/03(木) 17:07:47.06 ID:DHpWun6F
ガトリング砲がキター!!

とか想像してしまうのでヤダ

171 :日曜8時の名無しさん:2008/07/04(金) 12:57:09.32 ID:H5W1I82I
越後に生まれて ヨカッ ターー!!

とか想z(ry

172 :日曜8時の名無しさん:2008/07/04(金) 17:01:36.26 ID:OGrHRQNl
小藩なめんな!

織田いいじゃないかw

173 :日曜8時の名無しさん:2008/07/04(金) 20:56:22.80 ID:W7Pm73Of
ガトリング砲投入は
CMの後すぐ!

174 :日曜8時の名無しさん:2008/07/09(水) 18:38:09.79 ID:YZ+hS6Qq
実は「維新の嵐」で総合能力が一番高いのが継之助なんだぜ・・・

ゲームがゲームなので知られてないけど。

175 :日曜8時の名無しさん:2008/07/10(木) 00:10:39.75 ID:L18zGs0l
>>174
へ〜
でも維新の嵐って知らん

176 :日曜8時の名無しさん:2008/07/10(木) 22:05:55.42 ID:8Kf7tEPd
河井継之助の生まれ変わりはいつ出てくる?

177 :日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 19:56:58.23 ID:F+aQ1m2/
金よう夜きらっと新潟 歴史スペシャル 
7月11日(金) 19:30〜20:45
新潟が生んだ歴史上の人物を扱った番組を二本放送する。
まず、来年の大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続を紹介した『直江兼続その人生』。
戦国時代、上杉家のために“義”を貫いた兼続の人生を描いた。
そして、幕末の長岡藩を率いた河井継之助に焦点をあてた『その時歴史が動いた』。
戊辰戦争で地方の自立のために闘った河井に迫った。

178 :日曜8時の名無しさん:2008/07/11(金) 21:39:14.92 ID:7KZJOt9e
>>176
輪廻転生はない

179 :日曜8時の名無しさん:2008/07/12(土) 02:17:43.12 ID:/84VhReH
つ田中角栄

180 :日曜8時の名無しさん:2008/07/12(土) 13:56:52.28 ID:8AggwEB4
>>175
◆「維新の嵐」とは?
前述のように幕末の人物になりきって、全国の思想的統一を目指すゲームです。
思想と一口に言っても、国体思想と国外思想の2つに分かれており、前者は(佐幕、公議、尊王)の3つ、
後者は(開国、攘夷)の2つにそれぞれ100の数字を割り振られています。例えば、シナリオ1開始時の吉田松陰ならば、
 国体思想 尊王:77 公議:23 佐幕:0
 国外思想 開国:22 攘夷:78
となっています。つまり、彼の思想は尊王攘夷となるわけですね。
登場人物たちはそれぞれ自分なりの思想を持っており、他人を説得したり学問を積んだりすることで強化されるし、
また逆に思想の違う相手に説得されれば変化してしまうこともあります(国体思想が変わればゲームオーバー)。
プレイヤーの目的は雄藩すべての思想を統一すること。もっとも、会津、長州の藩論は、
それぞれ尊王、佐幕には変わらないので、公議派以外はこれを武力で倒すしかありません。
シナリオは以下の3つ。一つの思想につき3人の人物から1人を選んでプレイすることになります。

 シナリオ1:新時代の幕開け 嘉永6年(1858) 1月28日
  佐幕派 小栗忠順 松平容保 井伊直弼
  公議派 坂本龍馬 勝海舟 島津斉彬
  尊王派 西郷隆盛 桂小五郎 吉田松陰
 シナリオ2:長州の攘夷実行 文久3年(1863) 5月10日
  佐幕派 小栗忠順 松平容保 近藤勇
  公議派 坂本龍馬 勝海舟 松平慶永
  尊王派 西郷隆盛 桂小五郎 高杉晋作
 シナリオ3:明治維新の戦乱 慶応3年(1867) 11月15日
  佐幕派 小栗忠順 松平容保 河井継之助
  公議派 坂本龍馬 勝海舟 松平慶永
  尊王派 西郷隆盛 桂小五郎 岩倉具視

◆説得
このゲーム、雑誌の紹介でも「時代を動かすのは剣ではなく、説得である」と堂々と書かれていました。
「斬って斬って斬りまくって時代を変えてやる」とか思っているプレイヤーの楽しみを削ぐようなことですけど、
このゲームでは実際剣で時代を動かすことはできません。ゲームの基本は説得なんですね。
ゲームの目的は雄藩の思想統一→藩主、または藩の実権を握る有力者の思想を変える必要がある→説得が必要
→その前にそれだけの実力(レベル)をつける必要がある→身分の低い人間を説得して自分を鍛える
こういうゲームのおおまかな流れがある以上、いくら剣を振るっても、所詮はただの人斬り。ゲーム中の歴史で悪名を残すだけです。
さて、その説得。第2作の「幕末志士伝」ではカードバトル方式が採られましたが、この作品の説得はリアルタイムアクション?です。
自分と説得相手が向かい合って、カラフルな玉の撃ち合いをしているという一度見たら忘れられない画面…。
特にリターンキーの連打が必要であったため、「98のリターンキーが壊れた」という苦情もあったとか、なかったとか。
もちろん、ただの連打ゲームではなく、「賄賂」「脅迫」「理論」「威圧」「本音」というコマンドにはそれぞれに相性のいいコマンド、
悪いコマンドがあって、これをうまく使い分けないとレベルや能力の高い要人を説得するのは困難です。
本当にキーボードを壊してしまった人はどうだか知りませんが、私はこのシステムが大好きでして、
親の目を忍んで、夜遅くまで連打に夢中になっていたものです。
特にレベルが高く、有能な相手を説得する場合、時間1分体力1を争う熾烈な説得合戦となるため、非常に燃えます。
特に小栗忠順!彼との舌戦は本当に苦労したような覚えがありますね。

◆「維新の嵐」の魅力
ここまでその概要について説明してきた「維新の嵐」ですが、その魅力はやはり幕末に生きた人物になりきれること。
それと同時に幕末という激動の時代、その生活を一日単位で体験できることでした。
京都の街を歩いては志士たちと口角泡を飛ばしたり、あるときは新選組に追われ逃げまどう。
剣を学び、学問を積み、ときには贅沢に料亭で食事を楽しんだり、遊郭で一夜を過ごしたりする。
日本全国を旅行気分で歩き回って名所を観光し、村で特産品を買ったり、たまたま時代の名士たちとすれ違ったりする。
それでありながら、後半になって藩の実権を握れるようになると、藩政を行い、場合によっては藩兵を動かし、
他藩を攻撃するなどスケールの大きな展開へと動きます。
藩主クラスの人物でプレイした場合は別ですが、龍馬のような一介の浪士が日本を動かすようになると、
まさに時代の主役の気分を感じることができたものです。
http://www.aa.alles.or.jp/~warunowa/retro/ishin.htm

181 :日曜8時の名無しさん:2008/07/27(日) 16:05:47.51 ID:SegRYj3s
最期に自分の棺桶を松蔵に作らせるシーンがみたいなあ。
火がパチパチ燃える中で泣きながら棺桶を作る松蔵・・
このシーンだけ早く見たいから2時間ドラマでもいいなあ。

182 :日曜8時の名無しさん:2008/07/29(火) 17:39:32.37 ID:k02jcaQ3
つ● (スイカのタネ)

183 :日曜8時の名無しさん:2008/07/29(火) 19:06:43.38 ID:y+5Xm9DT
織田裕二主演なら数字も内容も悪くないかも。
原作は『峠』でいくのか?

184 :日曜8時の名無しさん:2008/07/29(火) 19:23:21.73 ID:T+RQLC+M
>>183
司馬作品の最高峰であり大傑作じゃないか
峠しか考えられない

185 :日曜8時の名無しさん:2008/07/29(火) 20:34:54.98 ID:y+5Xm9DT
峠とか歳月は、司馬本のなかでもマイナー。
良く言えば通好み。
しかし俺は、木曜島の夜会などもっと名もない人物の「歴史小説」が好み。

186 :日曜8時の名無しさん:2008/07/29(火) 23:55:51.30 ID:T+RQLC+M
峠に大きく人生観を変えられた人多いんだぞ

187 :日曜8時の名無しさん:2008/08/02(土) 00:12:38.34 ID:cHdBpJNN
>>186
そうだね、河井ほど大層なものではないけど、自分も焼け火箸をあえて握らざるを
得なくなったことがある。その時脳裏に浮かんだのは『峠』の河井だ。
河井は「死するとも人としての誇りを忘れるな」と言うだろう、きっと。

188 :日曜8時の名無しさん:2008/08/02(土) 23:20:36.73 ID:ILN5SuRX
峠以外の河井の小説はおもしろいのかな?
いくつかあるよねえ

189 :日曜8時の名無しさん:2008/08/03(日) 09:52:54.98 ID:19qSOGWe
>>188
面白くないと思う。

素材が良くても書き手によってつまらなくなるのは普通のこと。来年のとか・・・

190 :日曜8時の名無しさん:2008/08/03(日) 11:40:23.03 ID:luWr2/hK
昨日、只見線で会津塩沢駅を通った
何のPRも無かった

191 :日曜8時の名無しさん:2008/08/04(月) 14:10:01.04 ID:Wx99JaXt
「会津士魂」読むと河井の政治的状況によって会津が河井を貶めたり持ち上げたり的なところがあってちょとニガワラw

もし慈眼寺談判決裂後に、河井が腹切って長岡守ってたら会津は長岡をどう評価したんだろう?
長岡的にはそれでも河井は英雄児なわけだが

192 :日曜8時の名無しさん:2008/08/04(月) 22:13:42.29 ID:7MeUEgMh
>>191
山縣が河井を拘束した場合も戦が起きなかったと思うが。、岩村が相手で決裂して『峠』を読むことが出来た。
天の配剤ってやつか。

193 :日曜8時の名無しさん:2008/08/04(月) 23:15:23.29 ID:RIozIHbT
黒田と会っていたら、河井は総理大臣になっていたかも

194 :日曜8時の名無しさん:2008/08/04(月) 23:37:26.43 ID:RcOj6IJ9
わざと拘束されれば良かったのに

会津には
「いや〜、総督拘束されちゃったんでお味方できませんw
河井は正々堂々中立守ってたんだけどねー^^」
とかいいわけできたし
下手に強いから戦争長引いて人材失っちゃうし貧乏になっちゃうし

とりあえず恨むべき最大の馬鹿は岩村

195 :日曜8時の名無しさん:2008/08/04(月) 23:45:40.33 ID:p8wk/qkg
天下になくてはならぬ人になるか あってはならぬ人になれ
by河井継之助

196 :日曜8時の名無しさん:2008/08/05(火) 00:21:40.42 ID:4cz1I9nt
>>194
それでは『峠』が読めないだろうが、長岡の人には悪いけどさ。

197 :日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 13:11:36.38 ID:bbo5sR78
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/

土田衡平:天保7年(1836)生まれ〜文久4年(1864)死亡、矢島藩士

漢学を新田勘七に学び、又、島源蔵について関口流の柔術を学び、その奥義を究めた。
安政元年、9歳の時、藩の選抜をもって江戸藩邸におもむき留守居役書記となるが、23歳で脱藩する。
京都におもむき岩倉具視と交を結び、多くの志士とともに活躍するかたわら、
藤本鉄石について軍学を学びその奥義をきわめた。
文久3年(1863)大和に天誅組の義挙があり、これにおもむいて戦い、敗れた後足利に身をひそめ、
その地にあって関東の志士と交わり勤王倒幕に活躍した。
翌元治元年、水戸藩士藤田小四郎等が中心となり筑波山によって天狗党を結成し攘夷のさきがけを決行しようとした。
その中に騎兵隊長田中源蔵あり、土田衡平の非凡の才あるを知り、しきりに決起を要請した。
衡平はそのもとめに応じて田中隊の参謀となり、広く関東常野の地において幕軍と戦ってこれを敗走させた。
後、助川の戦いにおいて利なく、田中隊も四散、衡平は小船をもって同志とともに海へのがれ去ったが、
たまたま台風にあい、漂流の末相馬藩中村にたどりつき、捕らえられて同年11月5日斬刑に処せられた。享年29歳。

土田衡平が古賀塾にいたころ、同門の河井継之助を師匠として学問に励んでいた三郎(苅谷無隠)が、
継之助が西国遊学のため古賀塾を去るとき、三郎少年は継之助に対し「誰を師匠にしたら良いでしょうか?」と聞いた所、
継之助は「土田衡平がよかろう」と言った。

198 :日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 13:12:19.14 ID:bbo5sR78
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/

 刈谷 三郎 弘化1年(1844)〜明治43年(1910)3月5日
 旧名は鈴木虎三郎。変名は東狷介。号は無隠。
下野国足利郡足利新田仲町にて、父鈴木千里(足利家儒者)の三男として生まれる。
後に刈谷家の養子に入る。
父の感化を受けることが多く、水戸徳川家家臣の藤田信(通称小四郎)とは親交があった。
 安政4年(1857)秋頃、江戸に上がり、古賀茶渓の久敬舎に学び、のちに昌平坂学問所に転じた。
 元治1年(1864)3月、水戸徳川家天狗党が筑波山に挙兵するとこれに参加、田中愿蔵の竜虎軍に属した。
天狗党が分裂すると、これから逃れて江戸・京・大坂などを放浪し、仏門に入ったこともあった。
戊辰戦争後、司法省に入り、千葉裁判所判事となり、ついで東京裁判所判事に転じたが、間も無く官職を辞した。
後、京都相国寺に来て、禅門に入り後進の誘掖につとめた。青鴻維摩会を率い、あるいは師範学校に教鞭をとった。
 明治43年(1910)3月5日、死去。享年67歳。
越後長岡牧野家家臣の河井秋義(通称継之助)を語る上で欠かせない人物。  


199 :日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 13:27:56.24 ID:bbo5sR78
河 井 継 之 助 関 連 書 籍
http://www.asahi-net.or.jp/~VD8A-MKM/guide/hachi/kawai/book1.jpg
左から
「 塵 壺 」
河井継之助著・安藤英男校注 東洋文庫 2,600円
 唯一残っている継之助の著作、というか日記文。山田方谷とのこと、九州遊学のことが細かく書かれている。
「 戊 辰 戦 争 」
佐々木克著 中公新書 640円
 敗者の立場から見た戊辰戦争について書いてある。継之助に関する記述は多くはないが、長岡藩の武装中立論について詳しく書かれている。
「 愛 憎  河 井 継 之 助 」
中島欣也著 恒文社 2,400円
 長岡人の立場で同郷の人間だけが持つ継之助に対する愛、憎しみを織り交ぜてその人物像に迫っている。特に巻末の継之助に対する仮想インタビューが面白い。
「 良 知 の 人  河 井 継 之 助 」
石原和昌著 日本経済評論社 1,800円
 継之助の人物像、その行動規範を陽明学の立場から書き表している。
「 長 岡 城 奪 還 」
稲川明雄著 恒文社 2,800円
 慶応4年5月、長岡城は薩長軍によって陥落するが、奪還し、再落城するまでの戦闘の詳細が書かれている。継之助はもちろん、無名の長岡藩士の懸命な戦いぶりが事細かく記されている。
「 北 越 の 龍  河 井 継 之 助 」
岳真也著 角川書店 1,700円
 歴史小説であるが、非常に面白い。八十里越に関する記述は想像も交え、どの書よりも詳細に書かれていて参考になる 。
「 小 説  河 井 継 之 助 」
童門冬二著 東洋経済新報社 1,500円
 継之助の藩政改革、武装中立の理念を中心として書かれた歴史小説。
「 河 井 継 之 助 の す べ て 」
安藤英男編 新人物往来社 2,100円
 「河井継之助傳」「峠」と並び、継之助を知り、理解し、研究するためになくてはならない一書。山田方谷との関係について多くの紙面を割いている。
「河 井 継 之 助 の 妻 」
佐々木セツ著 新人物往来社 2,300円
 数ある「継之助本」の中では異色。継之助の妻「すが」を中心に書かれている。決して継之助一人が苦しみ、戦っていたわけではないのだ。
「 歴史読本 河井継之助・薩長に挑んだ男 」
新人物往来社編 人物検証シリーズ7 830円
 「継之助100問100答」「特集読物」が面白い。また、継之助の周りの人々のことも詳しく書かれている。
「 図 説  歴 史 の 街 道 ・ 幕 末 維 新 」
榊原和夫著 河出書房新社 1,600円
 「河井継之助と八十里越」と称して10ページに渡って書かれている。多くの図版が使われて面白いが、継之助2度目の敗走の時に森立峠を通ったと書かれている。これは明らかに間違い。
「 長岡郷土史 特集・戊辰戦争をめぐって 」
長岡郷土史研究会編 1,800円
 普段見ることが出来ないような面白い論点からの論文が沢山掲載されている。可能ならば是非手に入れておきたい。八十里越の踏査記録もある。
「 峠 」
司馬遼太郎著 新潮社 3,200円
 多くの継之助本の中で最も有名であり、また司馬遼太郎の代表作の一つでもある。継之助研究家の殆どがこの本から影響を受けたと言っても過言ではない。まず文庫版(上・下)を買って一読して下さい。
「 河 井 継 之 助 傳 」
今泉鐸次郎著 象山社 12,000円(復刻版)
 継之助研究家にとってバイブルのような存在。初版は明治43年。「峠」を始め、全ての継之助本はこれを基点にしている。現在復刻版も絶版で古本屋でも探すのは難しいが、運良く見付けたら是非手に入れておくべき。大きな図書館ならば存在する可能性はある。
「 栃 尾 市 史  上 巻 」
栃尾市史編集委員会編 栃尾市役所 価格忘れました
 継之助敗走の時の葎谷集結の様子などを研究する際、大変参考になった。

他にも....

「歴史群像シリーズ・痛憤 白虎隊と河井継之助」
学習研究社 1,200円
「歴史への招待14巻 火を噴くガトリング砲」
日本放送出版協会 1,300円
「戊辰戦争の河井継之助」
河井継之助終焉の家跡 医師 矢沢宗益末裔 矢沢大二 価格忘れました
「長岡藩戊辰戦争関係資料集」
長岡市史編集委員会 1,500円
http://www.asahi-net.or.jp/~VD8A-MKM/guide/hachi/kawai/book.htm

200 :日曜8時の名無しさん:2008/08/08(金) 20:41:38.82 ID:HWILz86e
河井ヲタに変な人がいるよね。それが腹が立つ『峠』ファンの自分

201 :日曜8時の名無しさん:2008/08/11(月) 12:23:30.94 ID:4sYcTVdP
自己紹介ならミクシィでどうぞ

202 :日曜8時の名無しさん:2008/08/11(月) 16:15:54.62 ID:jnRkPYKk
意外に河井の本ってあるんだなあ
図書館で探していくつか読んでみようと思う

203 :日曜8時の名無しさん:2008/08/13(水) 17:28:16.20 ID:HAnLPrYT
花神見てみたいなぁぁぁぁ

とりあえず総集編のDVDでも見てみますか

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